オーディオの世界では、DACチップをパラに使うと音がいい、という事が言われているようです。確かに、無相関な雑音成分は2パラで-3dB,4パラで-6dBと減少するはずなので、特性の向上が見込めます。また、ひずみ(非線形性)も、ランダムなものであれば平均する事により同様の減少が期待できます(統計的には)。抵抗ラダー式のマルチビットDACに置いては、ひずみの減少を主な目的としてパラレルや差動接続が用いられていたようですが、最近ではアキュフェーズが「MDS(Multi-ΔΣ)方式」と呼んで、マルチレベルΔΣDACチップをパラレルに用いたCDプレーヤーなどを発売しているようです。そこで、手持ちのローエンドの1ビットΔΣDACであるCirrusのCS4334を3パラにして試作してみる事にしました。
前回製作したCS4334を用いたDAC(SN-DAC0501)に納得いかない部分があったので、その再挑戦の意味もあります。3パラとしたのは、手持ちの関係と、基板面積がちょうどいいためです。3パラだと最大限-5dBの性能(雑音、ひずみ)の向上が期待できる訳ですが、結果はちょっと意外なものになりました。
今回のもうひとつのポイントは、プリント基板をEAGLEで設計して、ブルガリアの格安プリント基板業者 OLIMEXに発注した事です。
回路は、DACチップを3パラにした以外は、このような普通の回路です。
この回路図は、EAGLEという基板CADの回路図そのままなので、基板の外側の配線については書いてありません。(拡大画像にリンクしてあります。)
DIRは業界標準のCirrus CS8414-CS、DACチップは上述の CS4334を3ヶパラにして用いました。CMOS-OPアンプ: TIのOPA2350によるローパス・フィルターを通して出力されます。信号の合成は、ローパス・フィルターの入力抵抗の抵抗値を3倍にして、 CS4334それぞれにつなぎ合成しています。CS4334から見たインピーダンスは一定ではないので、理想的な信号合成にはなりませんが、抵抗値も 7.5KΩと十分高く、問題無いだろうと思います。今回は、出力に100Ωの直列抵抗を入れて容量性負荷に対する補正としています(今までは付けていませんでしたが、必須のようです)。
電源は、ACアダプターからの出力を3端子レギュレーター 7805 で安定化しただけです。各所にインダクターを入れたり、やや大容量のケミコンをレギュレーターの出力に用いる、各所にバイパス・コンデンサーを入れる、などの標準的な注意をしていますが、変わった所はありません
部品表は、別ページにあります。ワイヤーなどの小物部品については、省略しました。
CirrusのICについては、NewarkInOneからまとめ買いしました。積層セラミックのチップ・コンデンサーについては、Z特性のものなどは避けて、すべてX7R特性の0805サイズ(2012)にしました。入手には工夫が必要ですが、値段は別に高くありません(Digi-Keyに注文するのが一番簡単かもしれません)。松下のポリプロピレン・コンデンサーは、扱っている店により容量精度が違い、値段も精度によってかなり違います。ここでは精度はあまり問題でないので、一番安い5%級で十分と思います(共立電子で扱っています)。
電解コンデンサーは、全て低ESRの105℃タイプを用いました。RCAピンジャックについては、黄色のものだけ、試しに350円のものを用いました。外側の部分が六角になっている以外は、120円のものと全く同じに見えます。六角になっているために、締め付けがしっかりできて、確かにメリットはあるのですが、価格差だけの価値があるかとなると微妙です。基板については次に書きますが、他の部品は秋葉原で入手できる、一般的なものばかりです。細かい所では、照光式スイッチのLEDの色を、今回は緑にしました。
部品代合計は、だいたい1万円強くらいと思います。
今回初めて、ブルガリアのOLIMEXにプリント基板を発注してみる事にしました。基板のデザインは、EAGLEというプリント基板CADのフリー・バージョン で行いました(これも初めて)。その関係で、基板サイズは10cm×8cmに制限されていますので、その中に納める事になります。設計した基板の図面は以下の通りです。赤が上面のパターン、青が下面のパターン、白は上面のシルク印刷です。ルーティングについては自動ルーターは用いず、全て手で行いました。OLIMEXに注文する上では、いくつか注意すべき点(設計ルール、ドリル径、シルク印刷の線幅など)があり、インターネット上の情報を参考にして作成しました。部品にもずいぶん手を入れたので、それなりに時間はかかりましたが、いろいろ考えながらの設計で、なかなか楽しい作業でした。
左側の上側から入力、DIRの CS8414、DACのCD4334が3個パラになっていて、LPF兼バッファーのOPA2350に入り、右端が出力端子です。下側に電源部を配置しています。いつものようにアース配線、サプライ配線が自己流で、ちょっと変かもしれません。
OLIMEXには、メールでEAGLE CADで設計したファイルを送り、ファイルを確認の上、送られてきた発注書にクレジット・カード番号を記入してファックスします。10cm×16cmの両面基板(DSS)に10cm×8cm弱の基板をふたつ割りつけてもらい、基本料金が33ドル、手違いで非標準ドリル径があったので追加料金1.3ドル、エアメールによる送料9ドルを含めて、総計43.3ドルでした。2枚で5000円と考えると、1枚2500円で、特注のプリント基板としては、驚くほど安いと思います。
OLIMEXからやってきた基板の出来映えです(後で変更したので、上の図面とは、シルクの文字が多少違います)。シルク印刷もきちんと読めて、ドリルの位置も問題ありませんでした。
失敗したのは、7805の穴径で、うっかり小さくしてしまいました。スルーホールなのでドリルで広げる訳にも行かず、部品の足の方をヤスリで削って細くして押し込みました。
例によって、最初に基板を作りました。部品の取り付けは、やはりプリント基板だと簡単です。なんといっても、ちゃんとソルダー・レジストが付いているので表面実装部品のハンダ付けが楽です。出来上がりは次のようになりました。それぞれ、ひとまわり大きな画像にリンクしてあります。
最初の写真の右手に見えるICがDIR(digital-audio interface receiver)のCS8414-CS、中程に3個並んでいる小さな8ピンのチップがCS4334-KS、左側のICソケットがローパス・フィルターのOPアンプ用です。向こう側の放熱器の付いたICが NJM7805F(7805の互換品)です。
抵抗については、LED用のカーボン抵抗以外は全てチップ部品で、DIRの周りでは上面に、ローパス・フィルターでは下面に実装されています。ローパス・フィルターのコンデンサーは、今回はオレンジ色の松下のポリプロピレン・フィルム・コンデンサーです。DIRのバイパス・コンデンサーには積層セラミックのチップコンと電解コンデンサーを、DACとOPアンプのバイパス・コンデンサーには、積層セラミックとOSコンを使いました。出力のカップリング・コンデンサーは普通の電解コンデンサーです。電源部の電解コンデンサー10V2200μF 3個が、他に比べて大きく見えます。
ケースを加工して、基板を組み込んだ所だところが次の写真です。これも、それぞれもうひとまわり大きな画像にリンクされています。パネルの端子は、下の写真で右から、DC入力、同軸信号入力、音声出力(左、右)です。幅15cmの小型のケースYM-150に、ちょうど収まっています。
今回も、シールド線は用いていませんが、測定結果から見る限り、飛びつきによるノイズ、クロストークは問題無いレベルと思われます。アースについては、信号入力端子の近くの基板スタッドの所でシャーシに落としています。電源内蔵でないので、あまりアースポイントはクリティカルでなさそうです。
配線が終わり、電源を入れて各部の電圧をチェックし、問題無い事を確認して動作させてみました。今回は(珍しく)、一発で問題無く動作しました。ただ、左右の配線が逆になっていました。これはコネクターを差し替えるだけなのですが、そそっかしいので(なぜか)2回に一回以上の割で左右を逆に配線してしまいます。
しばらく音を出してみて、さっそく測定してみる事にしました。
RMAA5.5とAP2496を用いての測定結果は次のようになりました。今回のDACと、測定系のAP2496のループバック、以前製作したCS4334-KSシングルのDAC0501とを比べた比較表になっています。
16bit, 44.1KHzの測定結果
24bit, 44.1KHzの測定結果
96KHzなどにサンプリングレートを上げると、測定値は悪くなるので載せてありません。48KHzでは、ほとんど結果は同じです。
いろいろ考えさせられる測定結果です。
最初に16ビットの場合の結果を見てみます。サマリーを引用すると、次のようになりました。左の数値が今回のDAC,中がレフェレンスのAP2496のループバック、右がCS4334-KSシングルのDACの値です。
テ スト内容 | SN-DAC0504 (CS4334×3) | AP2496 (AK4528) | SN-DAC0501 (CS4334×1) |
周波数特性(40Hz-15kHz), dB: | +0.01, -0.04 | +0.02, -0.07 | +0.11, -0.92 |
ノイズ, dB (A補正): | -94.6 | -95.5 | -94.7 |
ダイナミック・レンジ, dB (A補正): | 94.4 | 95.1 | 94.6 |
高調波ひずみ, %: | 0.0050 | 0.0009 | 0.0039 |
IMひずみ + ノイズ, %: | 0.015 | 0.0087 | 0.014 |
クロストーク, dB: | -93.5 | -96.2 | -94.3 |
ノイズ、ダイナミック・レンジは、いずれも16ビットの限界に近いので、あまり違いがないのですが、3パラはシングルに比べて改善されてはいません。むしろ、少し悪くなっています。高調波ひずみについては、AP2496に比べて、CS4334は明らかに劣るのですが、3パラの方が、やはり悪くなっています。特に5次以上の高調波については、3パラの方が悪化しているのが見て取れます。IMひずみについても、同様の傾向が見られます。周波数特性、クロストークについては、特に問題になる事はありません(CS4334シングルについては、高域が落ちていますが、今回の主題とは関係ありません)。
次に、24ビットにした場合のサマリーは次のようになりました。
テ スト内容 | SN-DAC0504 (CS4334×3) | AP2496 (AK4528) | SN-DAC0501 (CS4334×1) |
周波数特性(40Hz-15kHz), dB: | +0.01, -0.04 | +0.02, -0.07 | +0.11, -0.92 |
ノイズ, dB (A補正): | -99.9 | -101.6 | -98.4 |
ダイナミック・レンジ, dB (A補正): | 98.6 | 99.9 | 97.8 |
高調波ひずみ, %: | 0.0052 | 0.0008 | 0.0030 |
Mひずみ + ノイズ, %: | 0.014 | 0.0050 | 0.011 |
クロストーク, dB: | -98.1 | -100.2 | -99.0 |
今回は、ノイズ、ダイナミック・レンジについては3パラに多少のメリットが見られます。無相関なノイズの打ち消しが、いくらか発生しているようです。でも、理想値の-5dBには遠く及びません。いずれにせよ、100dB近辺の話なので、測定限界に近いと思われます。しかし、高調波ひずみ、IMひずみについては16ビットの場合と同じ傾向が見られます。高調波ひずみについては、CS4334シングルでは多少の改善が見られるのに、3パラの方はほとんど変わりません。IMひずみについても、全く同様です。
こういう結果になった理由についての考察を、以下に述べます。
このことについて、特に印象的なのは、THD+Noiseのグラフです。ΔΣDAC(あるいはノイズ・シェーピング)特有の、信号に伴って発生するホワイトノイズ状のノイズフロアー(量子化ノイズ)がはっきり見えるのですが、シングルの場合と3パラの場合でほとんど違いがありません。この様な、ランダムなノイズはパラにすると打ち消されて減少するのではないか、という気がするのですが、そんな事は起こりません。よく考えると、それは当然の事です。ΔΣ変調で発生するノイズは、一見ランダムに見えますが、ロジックで発生しているので、同じ信号を入れれば全くおなじノイズが発生して、打ち消しは起こりません。1ビットのΔΣDACに関するかぎり、量子化ノイズの打ち消しを期待するのは無理のようです。
最近の高級なDACの主流はマルチレベルΣΔ方式なので、抵抗のトリミングに依存する部分があり、その部分から発生する非線形性については(統計的には)打ち消しが期待できます。今回はそれは当てはまらないので、特性は改善されない訳です。差動にした場合は、+側とー側で動作に違いがあるので、打ち消しは起こるかも知れません。ΔΣDACの高級なチップで差動出力のものが多いのは、そういう事情もあるのかも知れません。
24ビットの場合にノイズが減少したのは、DACとは直接関係ないノイズの打ち消しによるものと推測されます。特に、ノイズ測定は0入力で行われるので、DACはミュートしている可能性があり、DAC以降のノイズを見ているのではないかと思われます。
これは、3パラの方はCMOS-OPアンプを用いたアクティブ・フィルターを用いているためと思われます(シングルの方は、パッシブ・フィルターなのでOPアンプを使っていません)。実際OPA2350のデータシートを見てみると、振幅の大きい場合は0.003%程度の高調波ひずみを発生するようで、それによって高調波ひずみやIMひずみの増大は説明できます。OPアンプのひずみが問題になるレベルに来ているとは、ちょっと考えていなかったので、意外でした。CMOSでない、低ひずみのOPアンプ(NE5532とか)を使えば、性能の向上が期待できるようです(電源電圧を上げる必要がありますが)。
OPA2350は、CMOS-OPアンプとしては高性能の方なのですが、やはり普通の(バイポーラー・プロセスの)OPアンプに比べると不利のようです。CMOS-OPアンプは、レール・ツー・レール入力を実現するために、入力段がスイッチングします。スイッチングする付近でひずみが発生するので、特に高次のひずみが発生しやすいようで、それはグラフからも見て取れます(黒田徹著『解析OPアンプ&トランジスタ活用』(CQ出版社)に詳しい解説が載っています)。
いずれにせよ、実用上問題になるような値ではなく、ちゃんと動作しているようなので、結果的にはOKという事にします。
今回のふたつの目標は、(1)DACのチップを3パラにする事による性能の向上をチェックする、(2)EAGLEを使って設計したプリント基板をOLIMEXに発注して試作する、という事だったのですが、第一の目標は、残念ながら達成できませんでした。しかし、結果的には大変面白く、教訓的な試作になり、むしろ満足しています。第2の目標については、(小さなミスはありましたが)大成功と思います。こんなに簡単に、きれいで配線しやすいプリント基板ができるなら、もっとたくさん作ってみようという気になります。価格的にも、十分リーズナブルと思います。
今回のDACの試作から得られた教訓のひとつとして、もっと低ひずみのOPアンプを使う必要がある、という事が挙げられます。現段階では電源電圧を±5V程度まで上げて、NE5532などの低ひずみのOPアンプを使うのが性能向上の早道のようです。そのためには、ACアダプターという訳には行かないので、電源内蔵にする必要があるかと思います。(5Vで使える)最新のCMOS-OPアンプ(AD8656)では、ひずみ率も(バイポーラー並みの)0.0005%くらいまで改善されているようですが、まだ入手はできていません。差し替えて特性が改善されるか、試してみたいものです(SOICなので、変換基板が必要ですが)。
もちろん、抵抗ラダー式のマルチビットDACのチップをパラにすると性能はどうなるのか、差動だとどうか(1ビットでも、マルチビットでも)、などなど、DACについての興味は尽きません。
2005年10月5日 記.